フラメンコの歴史 2
19世紀の中頃、様々な状況により、すでに存在していたヨーロッパの流行を知っていた人々が Cafes Cantantesを始めた。私たちの手元に資料があるもので、セビージャで最初のCafes Cantantesとされるのは、1842年にオープンしたLos Lombardosである。Cafes Cantantes
はフラメンコのショーを構成する様々なアーティストが、これを職業化するための一歩前進となる場所、そしてそこで公演するそれぞれの アーティスト達が演じる役割を明白する場所となる。カンタオールはギタリストと共に進出する。ギタリストは進出と共に、バンドゥーラ、バイオリン、カスタ ネット、鈴、クロタロス、タンバリンのような伴奏楽器の存在場所を占領し続ける。踊りは存在場所を失くし、ショーのタイプによって歌やギターとまとめられ たり、もしくは踊られなくなる。Cafes Cantantesは複数の入場システムによって成り立っていたため、多様なアーティストを必要とし、これは公演ごと、または日ごとに出演料をもらってい たアーティスト達にとって、フラメンコを職業化しやすくした。
この状況は、観客がとても短い期間の中で、様々なアーティスト達のクオリティを比較し、更に公演を観に行くか行かないかで、その評価を示すことがで きる環境を作り上げ、この評価はCafes Cantantesとそこで公演をするアーティスト達の収入を変動させる要因となった。ここで、この時代のアーティストAntonio Chacon1のコメントを紹介しよう。「僕達はタブラオで公演していた。達人と呼ばれるギタリストTapiaと組んでEnrique el Mellizoが一晩に80ペセタ稼いでいた時、僕は達人と呼ばれるPatiñoと組んで、一晩に7ペセタ稼いでいた。彼がまずセギリージャを歌い、それに僕がマラゲーニョで続いた。しばらくして、また彼が歌い始め、そして子供(みんな僕のことをこう呼んでいた)が続く。
1 El Liberal de Sevilla. 記者Agustin Lopez Macias (Galerin)によるAntonio Chaconのインタビュー。1922年7月9日出版。
Bibliography: La Economía Sevillana del Flamenco ( January 2009 )
1 de enero de 2014 · お客様のお買い物カート